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 第9回 江戸時代からある幸手の和スイーツとは?!

●石太菓子店 (北1−10−32)

 北町商店会にある和菓子店「石太菓子店」は、江戸時代(文久年間)から営業しているお店です。
名前の由来になった、初代中村石太郎氏によって創業し現在に至っています。
 数ある和菓子の中でも、創業時からそのまま受け継がれている伝統の和菓子があります。
 それが、『塩がま』です。もち米・砂糖・塩等材料を用いて作ります。型に押し固めて作るので、押し物菓子の一種になり
ます。口に入れたときに、「ほっこり〜」とする食感で、お茶と一緒に頂くのが一般的です。

 なお明治9年6月3日、明治天皇東北御巡幸の際に、幸手宿にお泊まりになり、『塩がま』を献上致しました。
 幸手の『塩がま』は、幸手名物として現在に至っていますが、起源は江戸時代(文政年間)に幸手市内国府間で菓子製造を営んでいた、『大阪屋』の樋口清左衛門氏によって作られたといわれています。

▲画像のクリックで拡大画像を表示します
【幸手名物 塩がま】
 なお旧大阪屋(北2)の場所には、現在「日光街道」の道しるべの碑文があります(右)。クリックすると拡大画像が出ます。
 『塩がま』は、かつては市内各所(大塚屋(こちらをクリック)や幸盛堂、アライベーカリー等)で、お店独自の製法で作られていたと言われています。
 また、石太菓子店の他に、現在では「種清菓子店」(北2−3−23)で製造販売されている。
 幸手銘菓と言われていますが、地味な和菓子かもしれません。しかし、非常に歴史のある伝統的な和菓子なのです。
※ 取材協力 石太菓子店  
※ 参考文献 埼玉の和菓子(埼玉県民俗工芸調査報告書)

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