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 第4回  日光道中幸手宿の銘菓菓子店『大塚屋』とは!?

●アベ洋品店 (中1−18−11)

 天神町商店会にある「アベ洋品店」は、菓子商だったことをご存じですか? 『安部谷』(あべたに)と呼ばれ、埼玉県内きっての菓子屋としての実績がありました。また明治天皇行幸の祭にも、御菓子を献上されました。
 初代の「安部 谷介(たにすけ)」氏は、内国府間の金平糖で有名な大塚屋谷部菓子店で修行し、明治21年独立して、妙観横町(現在地)に『大塚屋』という屋号で店を構えました。当時、国鉄久喜駅のホームで『呑龍饅頭』を販売し名物化に成功。
 2代目の谷介氏(本名 嘉一氏)は、県内でもいち早く京菓子の製法を取り入れて繁盛しました。落雁を『田舎自慢』という名称で特許をとり、幸手の名産品として有名に。また、専売特許製品と呼ばれた「金平糖」をはじめ、羊羹や護家宝(五家宝のこと!)、塩がま等の製造販売も行いました。
3代目の谷平氏は、洋菓子の製法を取り入れて作った『米麹イーストアンパン』や『玉子パン』を開発し、こちらも有名な幸手の名産品となりました。

【田舎自慢の掛け紙】
明治40年頃作成
【田舎自慢の掛け紙】
昭和6年作成
自慢の文句(左側)は2代目谷介氏が作成。大正13年に特許を取った、という自筆書きが読みとれます。 印刷の出来について右側に自筆書きがー。
【行幸羹(羊羹)の掛け紙】「大塚屋」の屋号が読みとれます。→
※画像上(↑→)をクリックすると拡大画像が出ます)

 

▲【創始者 安部 谷介氏】
 明治時代撮影
(なお、撮影は「佐藤寫眞館」)


 また、東武鉄道が昭和4年に開通した後、「三東製菓」と名称変更し、幸手駅に販売場を設けて商品販売しました。当時の工場は洋風建築で非常にモダンだったと言われています。昭和44年に現在の『アベ洋品店』に業種変更し現在に至っています。

【護家宝の掛け紙】
明治40年頃作成
行幸堤の碑が印刷されています。

【塩がまの掛け紙】
昭和6年作成
帝国製菓共進会銀杯受賞と
登録商標と表記されています。

【缶張の原稿(原本)】
昭和6年作成
原材料を入れる缶 (一斗缶)
に貼ったそうです。

【菓子型】
打ちもの菓子を作る菓子型は、桜の木材質を用いました。注文によって様々な図案を考案し、菓子型を業とする職人さんもいました。
みじん粉(もみ米を炒った粉)を練り、ほどよい柔らかさになると型に詰め、型を抜くと「打ちもの菓子」の出来上がり。祝い事や祝儀等に使われたそうです。

現在の写真

【三東製菓】
昭和12年11月20日撮影
非常にモダンな工場ですよね!

【アベ洋品店】
左写真の同位置から撮影

 ※ 資料提供・取材協力 安部 晴介氏 ※ 菓子型については、(寄贈した)郷土資料館にて撮影

● 第1回 幸手の『横丁鉄道』

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● 第4回 日光道中幸手宿の銘菓菓子店『大塚屋』とは!?
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● 第7回 幸手に狩野派の絵師がいた!
● 第8回(番外編)今でも残る幸手宿の町家は『味噌屋』だった!?
● 第9回 江戸時代からある幸手の和スイーツとは?!
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